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117件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2017-01-27 第193回国会 衆議院 予算委員会 第3号

指摘があったのに対して、国交省は二十三年の八月に大畠大臣御自分のときですからあれですけれども大臣前田大臣にかわられた二十三年の十一月も、いや、これは白だといって封印をしました。  その後、監視委員会が動き出した後、二十五年、自公政権にもう一回戻った後、ここにちょっと太田大臣の名前がありますけれども監視委員会が、これはやはり白ではなくて違反でしょうということで取っつかまえた。

足立康史

2015-08-26 第189回国会 衆議院 国土交通委員会 第19号

太田国務大臣 平成二十三年五月十三日の国土交通委員会におきまして、当時の大畠大臣が、日本航空に対する立入検査の結果として、次のとおり報告したというふうに承知をしています。  同社において安全上のトラブル増加傾向はないこと。個別のトラブルについては、原因分析や評価、再発防止策徹底等の対応がとられていること。

太田昭宏

2014-10-31 第187回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第6号

そして、その震災が起こった当日の夜、十時三十分、二十二時三十分には本省とのテレビ会議徳山局長からの状況報告があり、大畠大臣より、とにかく人命救助を第一に、局長政府代表のつもりで全部やってほしいと。そして、その一時間後には、局長からの指示で、啓開によって道をあける、徹夜でその準備をしてほしい、あすからが勝負だ、こういう震災当日のことが書かれております。

泉健太

2013-06-05 第183回国会 衆議院 国土交通委員会 第16号

初めて行ったのが震災から二カ月弱の時期でして、大畠大臣もよく御存じだと思いますが、当時は、気仙沼は水産加工で有名な町ですので、その水産加工でストックされていた魚が全部流されて、その魚が全部腐ってすごいにおい、すさまじい腐臭でマスクがないと息もできないような状況でしたし、今回改めて行かせていただいても、やはり当時から考えると、非常に瓦れきも片づけられたり、整然となってきたなという思いを私もいたしました

坂元大輔

2013-05-24 第183回国会 衆議院 国土交通委員会 第14号

そこで、私は、この統合のときにも当時の大畠大臣質問しましたけれども、結果的にはどうかと言われますと、御指摘のような側面があったと答弁したことを思い出します。それが、今の大臣でいいますと、えらい万々歳みたいな話をしていますけれども、そうはならぬということを言っておきたいと思うんです。  

穀田恵二

2013-05-10 第183回国会 衆議院 国土交通委員会 第10号

命を守る、リダンダンシーの確保、こうしたことが実は大畠大臣のときに、真っ先に東北整備局が走って、くし歯作戦、これもリダンダンシー、こっちが遮断されたら東西の道路で行くというような安全保障、常に、本当の意味での人間安全保障という意味道路のネットワークがある、こういう観点を持っていかなくてはならない、私はこう思っています。  

太田昭宏

2013-05-10 第183回国会 衆議院 国土交通委員会 第10号

例えば、物流観点先ほど議論になっていました災害対策観点からしますと、原発事故が起こったときに、あれは通称キリンというのでしたか、コンクリートの打設車が福島に入られるときに、一体どこの道が通れるんだろうか、どこで曲がれるんだろうかということに、随分、大畠大臣を初め国土交通省の皆さんも苦労され、時間がかかったということもお聞きをいたしました。  

三日月大造

2013-04-03 第183回国会 衆議院 国土交通委員会 第4号

太田国務大臣 大畠大臣のときに三・一一があり、直ちに現場東北整備局に全て委ねて、号令を発したがゆえに、東北整備局道路啓開をし、そして、闇屋のおやじと思ってくれということで、何から何まで、トイレから棺おけに至るまで、女性にとって大事なものであるとか、全部、国土交通省ということを超えて、全面的にやることをやれという指示をいただいてということは、今も現場を歩くと私はよく聞いて、本にも紹介されておりますけれども

太田昭宏

2013-03-15 第183回国会 衆議院 国土交通委員会 第2号

それは、大畠先生国土交通大臣のときに、この間、私は感動したんですが、代表質問に立たれて、東北地方整備局がいかに大震災の後に、くし歯作戦ということで啓開作業をして、そしてあらゆることを、闇屋と思ってください、こう言われて、大畠大臣は、思い切って現場でやれ、全部任せるということを言った中に、自衛隊やあるいは警察、消防、米軍、こういうものとともに、現場で一番頑張り抜いて、いち早く啓開作業をして切り開いたという

太田昭宏

2013-03-15 第183回国会 衆議院 国土交通委員会 第2号

三・一一の後、大畠大臣の時代だったですが、四月十三日にあそこが開港して、私は、うれしさもあるし、現地に早くということもありましたから、一番機に乗って仙台空港におりたんです。  その後ずっと回ったんですが、いかに仙台空港復興ということで大事かということもあるし、そこでおりたときに旗を立てて迎えてくれた人、その後、そこの仕事に携わった建設業者等の話も聞きました。

太田昭宏

2012-08-21 第180回国会 衆議院 国土交通委員会 第15号

私はこの問題について指摘をしたわけですが、実は先ほど大畠大臣が指導を行ったという話をしました。当時の国交省立入検査では、各職員の労務内容の変化に起因すると考えられるトラブルも発生しているという指摘もしているんですよね。つまり、今の労務対策がこの事態をつくっているという国交省立入検査報告なんですね。

穀田恵二

2012-08-21 第180回国会 衆議院 国土交通委員会 第15号

○大西参考人 大畠大臣から調査指示されまして、我々は当時、日本航空の安全の状態がどういう状況にあるかということをレポートさせていただきました。その際に、我々として、安全運航を堅持できていく、このようにお答えをさせていただき、ただ、安全は、先ほども申しましたけれども、そのとき、そのとき、そのとき、これをしっかり確認していくということが必要だと思っています。

大西賢

2012-08-20 第180回国会 参議院 行政監視委員会 第6号

当時の大畠大臣からも、公共事業は国民の暮らしになくてはならないものであり、必要な公共事業は積極的に整備をしていくという、こんな実は御答弁をいただいております。  その答弁を踏まえまして、資料二を御覧ください。この記事は、地元の橋なんです。これ、原田橋といいまして、浜松市の管理の橋なんですけれども、これ、老朽化によるケーブルの不具合が発見をされまして通行止めになったという記事です。

岩井茂樹

2012-08-07 第180回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第9号

一つは三陸道大畠大臣が明言しました海を渡る道路ということが、計画どおり間違いないかということ。しかも、財務大臣は、五年でやるということをわざわざ地元お話しされました。これが間違いないかということ。それから二点目は、前回質問した後に、この造船団地、内部でいろいろな検討をして、もう協議会を持たれるというふうに聞いております。

小野寺五典

2012-06-20 第180回国会 衆議院 国土交通委員会 第10号

言っておくと、大畠大臣は当時、日航社長国交省に呼んで、人員削減で本来の保安業務支障が出ていないかを確認するように求めているんですね。そして、絶対安全という原点を忘れないようにしてほしいという要請をしたんです。そして、私ども質問に応えて行った当時の国交省立入検査ではどういうことを言っているか。

穀田恵二

2012-06-19 第180回国会 参議院 国土交通委員会 第7号

それに端を発して、日本のこの領海警備に関する法体制というのが非常に未整備であるということで、私も何度かこの委員会で、当時は馬淵国土交通大臣のときから質問させていただき、そして大畠大臣そして前田大臣という形の中でこの法案が国会へ提出されたということは大変大きな前進だと思っております。  

藤井孝男

2012-03-22 第180回国会 参議院 国土交通委員会 第3号

その際、当時の大畠大臣から、大変大事なことだと思うので、社会資本整備計画の見直しの中に入れていきたいと、こういう御答弁をそのとき、三月いただきましたけれども、この十一月二日に中間取りまとめを見ましたら、津波というのは入っていますけれども液状化はやっぱりまだきちっと入っていなかったということがあります。  

長沢広明

2012-03-05 第180回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号

前の質問でも大畠大臣に確認をさせていただきました。今回、三陸縦貫自動車道、これが大変有効な機能だということで、全線着工を決断していただきました。私ども大変感謝をいたします。ぜひ、このめど、ことしだけじゃない、来年も再来年も、これは時間がかかります、どのぐらいのめどでこの全線開通が実行されるのか、そのことについて確認したいと思います。

小野寺五典

2012-03-05 第180回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号

前田国務大臣 たしか、小野寺委員質問復興特別委員会だったですか、何かお答えした記憶があるんですが、十年というのはもう大畠大臣が言われたことでございまして、できればそれを前倒しして、もう少し何とか早くというふうにお答えしたつもりです。要するに、つなげにゃいかぬ、早くつなぎますというお答えをしたつもりでございますが、その線で、とにかく大畠大臣の十年を少しでも縮めるようにいたします。

前田武志

2012-02-02 第180回国会 衆議院 予算委員会 第4号

その後また大畠大臣になって、そういう形で進めていく。その中で、有識者会議というのを前原大臣がつくっていただいて、前原大臣のもとで有識者会議議論をし、そしてその中で、幹事会、要するに利根水系の方々を全部集めて議論をずっとやってきたんです。その最終的な結論として、いろいろなコスト、環境、そしていろいろな要素を含めたときに、これは進めるべきだな、こういうことになったわけであります。  

佐田玄一郎

2011-12-08 第179回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第10号

ですから、当初、私、復興支援本部に入ったときも、まずは大事なことは道路の復旧、それから港湾、特に港湾の場合はもう物流の拠点でありますから、これが大事だということで、この計画の策定を急いだらどうでしょうかということで当時の大畠大臣に申し上げましたよ。大畠大臣もそのとおりだということで、港湾については、仙台港の一部を除いて二年間で大体機能を復旧させるという計画になって、今その方向で進んでいます。  

平野達男

2011-12-01 第179回国会 参議院 国土交通委員会 第3号

そのことに関しては、大畠大臣の三・一一の結果を踏まえての反省の中からそういう御答弁もあったかなと思います。私も理念としては、今までのコンクリートというと何か人間生活からはちょっと離れた巨大なというようなイメージを象徴させていて、そして生活が第一という方を人にという言い方をしたんだろうと思うんですね。  

前田武志

2011-12-01 第179回国会 参議院 国土交通委員会 第3号

この東日本大震災を受けまして、今年の、平成二十三年五月二十六日、参議院国土交通委員会質疑の中で、岡田直樹議員、ただいま参議院国土交通委員会委員長を務められておりますけれども、の質問に対して、大畠大臣がこう答えられております。今回の大震災の中ではコンクリートが人の命を救ったというところがたくさん見られます、このように述べられました。  そこで、前田大臣、お伺いいたします。  

岩井茂樹